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    デザイナー・今井千恵

    今井千恵が航空会社の客室乗務員として人生のキャリア第一歩を踏み出した1960年代の日本では、女性が家の外に出て仕事をすること自体が非常に稀な事であり、まして女性が国外に出て行く仕事など考えられない時代でした。前向きで勇気溢れる彼女の考え方は時代の先を行くものであり、彼女は当時、日本の女性が置かれている社会的立場が、欧米に比べて非常に遅れていることをひしひしと感じていました。

    女性をめぐる社会的環境が少しずつ変化し始める中、彼女は結婚後キャリアを断念し家庭に入ります。そして、1977年、幼い子供達を育てながら輸出入業のビジネスを始めますが、この時このビジネスが将来どのように展開、進化して彼女の人生を変えて行くことになるのか、全く予想もつかないことでした。

    それまで、誰も考えなかった軽くて日常的に着られる綺麗な色のファーコート、ジャケットを今井千恵が開発、現実化した時から、周りに変化をもたらしました。彼女は機械によって工場で大量生産される製品ではなく自然界で生まれるもの、そのものを生かす製品に強く惹かれるようになります。

    ファー・アイテムを身に着けること。それは遠く彼女の幼少時代さかのぼります。日本には七五三という子供の健やかな成長を願う伝統的な行事があり、今井 千恵の母は時には娘を特別な気持ちにさせようと、冬晴れの儀式の日娘に美しいキツネの白い襟巻きをさせました。ふわふわとした柔しく温かい天然素材の感触は、天にも昇る着け心地で、彼女がそれまでに感じたことのない特別なものでした。今井 千恵は色白で目が大きく、当時の友達から白いキツネとニックネームで呼ばれていました。そのニックネームが CHIE IMAIのブランドの象徴でもあり、ブランドロゴでもある『チエ・フォックス』に大きく反映されています。

    今井 千恵は、輸出入業で或る到達点に達したところで、従来の貿易業に満足を得られなくなり、自社のオリジナル商品を作るメーカーになりたいと思うようになりました。競合会社は全て同じような商品を扱っていましたし、その時には輸入市場は飽和状態になっていました。ファーコートと言えば色は黒か茶色と決まっていて、人々は遥か昔からファーは寒さから身を守る為のものなのだと決めつけていました。

    晩秋のパリへ旅をした今井 千恵は、冷たい風に枯れ葉舞うシャンゼリゼ大通りで新しいファッションのアイディアを求めて何軒ものブティックを巡りました。何ひとつアイディアは見つからず、街行く人々は、小さなアジア人女性が足を棒にして歩き回り、へとへとになろうがお構いなし。もう今日は「ここまでだわ。」と諦めたその時、その瞬間が現れたのでした。ヴィヴィッドなピンクのコートがウインドーから彼女の目に飛び込んできたのです。「あぁ、これだったのね!私が探していたものは! 」当時、染色されたファーコートやジャケットは見たことがなかったので、まさに目から鱗状態でした。

    彼女はこれから気軽に着ることができるファーアイテムの時代、まさにその到来を見ていました。彼女がずっと描き、温めていたヴィジョンを形にする時、そして彼女の感性が大きく開花する瞬間でした。彼女は長い間どうしたらセーターみたいに着られる軽くて明るくて綺麗な色のファーコート、ジャケットが作れるのか試行錯誤を重ねていたのでした。

    今井 千恵は、デザイナーになろうという特別な意思はありませんでした。持って生まれた感性で、小さい頃から母親が薦める洋服ではなく、自分でこんな洋服が着たいと絵を書いて、縫製の方にそのデザイン画を見せていました。インスピレーションを得ながら、彼女のヴィジョンは現代のライフスタイルにフィットしたファッショナブルで実用的なファーアイテムやその他のファッションアイテムへと進化して行きました。コートやジャケットに関しては、軽くて躍動感溢れる明るい色、元気になれる色。 伝統を重んじる業界の人達の中には、おかしな「毛皮屋」ができたとあまり快く思わず、ビジネスも破綻するだろうなどと噂をする人達もいました。しかし、今井千恵はたったひとつのヴィジョンを現実のものにすることを決して諦めることはなかったのです。

    それが、1980年代に華々しいデビューを飾った今井 千恵のファー·皮革製品で、いまやブランドのアイデンティティともなった MOSAIQUE de CHIE(モザイク・ドゥ・チエ) です。黒や茶のズッシリと鉛のようなファーコートやジャケットしかなかった時代に、何色もの色が華やかに踊るようにデザインされ、コンパクトにバックの中にサッと収納でき、軽くてどこにでも持ち運びに便利、邪魔にならないファーコート、ジャケットがほしいと今井千恵が開発した MOSAIQUE de CHIE(モザイク・ドゥ・チエ)。自らが着たいと構想、デザインしたコート、ジャケットが、フィンランドの熟練したクラフトマン達と試行錯誤して完成したのでした。

    MOSAIQUE de CHIE (モザイク・ドゥ・チエ)が、ニューヨークで開催された Fur Information Council of America (ファー・インフォメーション・カウンシル・オブ・アメリカ)ファッション·ウィークのステージで発表された時、メディアも招待客も誰一人として自分達が 「ファーアイテムを見ていると思えない。」と口ずさんだことは今でも語られています。同様に出品者であったサンローランもヴァレンティノも他のデザイナー達誰もが彼女の革新的、現代的で色鮮やかなデザインに圧倒されたのは、後年、デザイナー達が追求したファーファッションのトレンドを振り返ると一目瞭然です。今井 千恵はファーを過酷な冬の寒さに打ち勝つ為だけに着るという従来の考え方を捨て、ファーと皮革製品がかくも新しく楽しく洋服感覚で着られるものであるかを見事に証明したのでした。

    今井 千恵は東京にアジア地区フラッグシップ店をオープンしたのに加え、2002年ニューヨーク、マディソン・アベニュー59丁目に北アメリカ地区、フラッグシップ店をオープンしました。同年パリでは、世界を牽引する女性起業家の一人として認められ表彰を受けました。その際、日本では時の小泉首相より国会で世界的な女性実業家としての業績に賛辞が贈られました。また2014年には、日本とフィンランドの友好関係の促進に尽力してきた長年の功績が評価され、日本人女性ファッションデザイナー初「フィンランド獅子勲章コマンダー章」を受賞しました。

    今井 千恵は、現在もリード・デザイナー、ブランド・アンバサダー(大使)として世界を駆け回る日々を送っています。東京を中心に、各地で CHIE IMAI 伝統のランウェーショーを開催し作品を発表することは、彼女にとって今も変わらない大切なルーティンです。

    アメリカ合衆国では、革新的な研究に資金を提供して脊髄損傷治癒に寄与するクリストファー&ダナ・リーヴ財団の積極的な支持者です。ハリウッド俳優、メリル・ストリープや、グレン・クローズもこの財団の主要な支持者です。日本でも2011年の東日本大震災·津波の被害者を援助する為に先頭をきって尽力致しました。その年、地震の余波で多くの日本企業が予定されていたイベントを次々にキャンセルする中、彼女はスケジュール通りショーの全てを敢行し、その年以降イベントを通して被災者の為の資金を更に募ることを続けています。

    今井 千恵は余暇を、日本の古伊万里などの磁器収集、世界の美術品収集を趣味としています。また、フィンランドの友人たちを訪ね、彼らの夏の別荘で共に過ごすことや、アメリカの友人たちを訪ねること、日本国内でお世話になった方々や友人達と共に社会に寄与できる未来構想を語ることを楽しみとしています。探求心は今も変わらず、オープンマインドに新しいアイディアや、若い世代を理解する姿勢は今も変わりません。

    彼女のマントラは、「実行する前から絶対にNOとはいうな。偏見やネガティヴな意見を持たず自由な発想で生きよ。」です。